ここは地獄の一丁目




は、と目を覚ますと、どんよりとした地に両足で立っていることに気づく。奇妙な光景だった。夜ではないのだが、薄暗い。あたりを見回しても、ただじめじめとした茶色い土が広がっているだけで何も見えない。見上げると今にも雨が降りそうな曇天である。歩くとぺたぺた音がする。地面の土は少し湿っていた。
土方は腹に手を当てる。血も何も出ていない。おかしい。確か自分は今しがた斬られたはずだ。ざっくりと斬られた腹からは、はらわたがでて血がどくどくと流れていた。自分の血の温かさを感じながら、土方は倒れたのだった。
そこまでは覚えている。そして目覚めたら、この湿り切った地の上でただ突っ立っていた。周りにいたはずの総悟も、山崎も、近藤さんもいない。なるほど、ここはあの世か。土方は納得する。自分は死んだのだろう。それならばしょうがない。さて、ここは地獄か天国か、はたまた。
とりあえず、草も何も生えていない、妙に湿った地面をぺたぺたと歩いてみる。しばらく歩くと看板が見えた。
“地獄はあちら”。
随分と丁寧で適当な道案内である。右方向の矢印とともに書かれているので、素直に従いあるく。やはり思うのは、ここは地獄へと通じる道であったか。


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しばらく歩くと小さな古びた甘味処のような家が見えた。
「地獄はこっちだと書かれて歩いてきたんだが、」
のれんをくぐり声をかけると、栗色の短い髪をした女がいた。振り返った女の顔を見て土方は大層驚いた。その女は、既に死んだはずの、古い知り合いである、沖田ミツバに瓜二つだったのである。
「いらっしゃいませ。地獄へ行く前に一休みしていってください」
女は平然とそう言った。土方は目を見開いて固まる。
「お前は…これは、どういう」
「攘夷戦争って昔あったじゃないですか。その頃に比べたら大分落ち着いたらしいんですけど、今でも天人やら戦争やらちょこちょこいざこざがあるでしょう。地獄は今大変混み合っておりまして、こちらは地獄があくまでの待機宿になってるんです。ですので地獄に行くまでは気兼ねなく、最後にひとくつろぎしていってください。」
女は笑顔でそう言い、茶を出してくれた。土方の事を知らないようである。
「…なんだそれ、随分現実的だな。確かにどんな時代でも悪人は腐るほどいるが」
土方は一旦腰をおろし、茶をすすった。
「…あんたも死んだ人なのか、それとも地獄の閻魔かなにか」
チラリと女の顔を見て土方は問う。
「私?私はここで働いているただの雇われ者です。多分死んでここへ来たのでしょうね。」
「多分というと」
「実は私、生前の記憶がないんです。どうしても思い出せないんです。ただ、死んでこの世にやってきたのは確かです。目が覚めたら目の前に神様がいて、成仏して生まれ変わるか、天国で一生遊んで暮らすか、どっちがいい?だなんて聞かれて」
「ちょっと待て、お前天国に行ったのか」
「そうですよ、私生きてる時、悪い事なんてひとつもしてなかったんでしょうね。でもね、なんだか思いだせないままこの人生を終えるなんて気が引けて、悔しくて、思いだすまでは成仏も天国も選ばないことにしたんです。」
「…」
「そしたら人手が足りないから、働かないかって言われて。こうして地獄の待機宿で働かせてもらってるんですよ」
「奇妙な話だな。天国じゃなくて地獄に来たのか」
「派遣ですもの。それにいつだって人手が足りないのは地獄のようで」
彼女はそう言って、「ミタラシとあんこ、どっちがいいですか?」と団子を差し出してきた。「どっちでもいいけどマヨネーズねえか」と土方がたずねると、「あら、マヨネーズ?丁度ありますよ」と奥の冷蔵庫から出してくれた。
「なんだかマヨネーズ、いる気がしたんですよね」
彼女は口をおさえて、フフフと笑う。土方は懐かしい笑顔に目を細めた。
「記憶は戻ったのか」
「うーん、知り合いが死んだりでもすれば会って思い出せるかなって思ったんですけど、どうやら私の生前の知り合いは皆丈夫なようでまだ誰もこちらに来てないようなんですよね。だから何も思い出せませんよ。」
「そうか。そりゃあ残念と言うか、よかったというか」
「でもね、一つだけ分かる事があるんです。生前の私は多分病弱だったのかな、あんまり動けなかったみたいなんですよね。だって今、普通に動いて歩いて働いて、なにか生産的な事ができるっていうのがとっても楽しくて嬉しくてたまらないんですよ」
「…」
「あ、今地獄の待機宿のどこが生産的なんだ、って思ったでしょう?」
「思ってねえよ。ただ、ひたすら毎日死んだ悪人相手にするなんて面白いのかねえッて思っただけだよ」
「そうですか?意外と楽しいんですよ。色んな人がいるんです。私を牧師か何かだと思ってるのか、生前の罪につらつらと懺悔を始めたり、最後に一杯飲んで思い出を語ってくださったり。危ない人もたまにいるけれど、私もう死んでるので殺される心配もないし」
「そうかよ、よかったじゃねえか、死んでやっと生き生きするなんて」
「フフフ。皮肉なものですよね。そういうあなたも地獄へやってきたのだから、さぞかし悪い事をしたんですか、なんだかそうは見えないけれど」
彼女は土方の全身をじっと見まわして言った。
「そうかね。俺はまあ適当に人も斬ってたし、まあ天国にはいけねえだろうな」
「でも、あなたなんだか変ですね」
彼女は首をかしげた。
「私、ここで働いて色んな方を見てきましたけど、あなたみたいな方は初めてですよ」
「俺だって人並みに地獄は嫌だぞ」
「そうかしら?あなたは何も悔いてないようだけど。まるで死んでやっと愛した人に会えるかのような、そんな顔をしてるわ」
彼女は土方をじっと見る。土方は茶を持つ手が固まる。彼女は昔から、ふとしたことにも気づく聡い女だったと思いだす。ジッと煙草に火を付けた。そんな土方の様子を見て、彼女は灰皿を出しながら「適当な事を言ってすみません、そんなはずないですよね」と苦い顔で笑った。
「お腹、すいてます?お団子のほかにも、色々あるんですよ」
そういってしばらく彼女は裏にまわって料理をしだした。土方は煙草を吸いながら、彼女の鼻歌を聴いていた。それはなんだかとても懐かしい歌だった。しばらくしてでてきたのは「特製丼」と名付けられた赤い塊だった。ご飯の上には、大量のタバスコと七味唐辛子がかかっていた。思わず土方は眉を寄せたが、同時にふっと笑ってしまった。
「おいおい、地獄はまだだろう?これじゃただの激辛罰ゲームじゃねえか」
そういったが、しかし土方は上からマヨネーズをかけて、食べ始めた。
彼女はしてやったりと言った顔で、笑った。

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そうしてそこに寝泊まりしだして5日ほどたった朝だった。起きて、二階の宿から下の台所に降りていくと、みそ汁と焼き魚のいいにおいがした。
「おはようございます」
彼女はいつもと変わらずにあいさつをし、続けてこう言った。
「お待たせいたしました、地獄の定員があいたようです。このご飯を食べたら、お別れですね」
土方の顔を洗う手が止まった。
「そうか、世話になったな」
「いいえ、お元気で」
彼女は唐辛子を、土方はマヨネーズを大量に焼き魚にかけて、二人で向き合って朝食をとった。土方はゆっくりとゆっくりと、噛みしめるようにたいらげた。「ごちそうさま」と手を合わせて言うと、「あちらへどうぞ」と外を指さされた。
宿の外にはそれまでになかった変な門がありどうやらそれが地獄への扉のようだった。
「身体に気をつけて、早く思いだして成仏できるといいな」
土方が振り返り、彼女に言う。
「そうですね、地獄ってどんなところか知らないけれど、十四郎さんも地獄でたっぷりしごかれて成仏してください。」
土方は目を見開いた。ここに来てから十四郎さんと初めて呼ばれた。
その瞬間、扉が消えて、土方の立っている真下の地面にぽっかりと穴が開いた。
「あら、あなたは地獄へはまだ早かったようですね。もうこんなところ来ちゃだめですよ、十四郎さん」
「ミツバ!」と叫んだが、もう彼女の姿は見えなかった。土方は深い穴にのみこまれていった。


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は、と目を覚ますと、見慣れない天井が見えた。土方は病院の布団に横たわっていた。腹に手を当てると、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「…ちっ。地獄へ行ったかと思ってせいせいしてたのに、図太いですねえ」
横を見ると、総悟が椅子の上に胡坐をかいて自分を見降ろしていた。
「近藤さん!土方さんが起きましたよー!」
総悟がそう大声で呼ぶと、半泣きの近藤を始め隊士がわらわらと部屋に集まってきて「よかったなあ」「遅いですよ!心配したんすよ副長!」などと声をかけられた。
まるで夢を見ていたかのようだった。腹を切られて、生死の境をさまよっていた、と後で聞かされた。
「その割には幸せそうな顔していつまでも寝てるんで、絶対死なねえなこいつって思ってやしたけどねェ」
総悟はなんだかんだ病室に毎日来てくれていたようだった。
「それに今日死んだら絶対殺すって思ってましたし」
総悟はぼそっとそう言って病室を後にした。カレンダーの日付を見て、ああ、あそうかと土方は思う。
あれは夢だったのだろうか。夢でなくとも、彼女は最初から全て知っていたのだろうか。彼女はああ見えて食えない女だから。それとも別れる間際に思いだしたのだろうか。彼女はまだあそこで働いているのか、それとも成仏したのだろうか…。
彼女のことは考えても分からないので、とりあえず土方は目を閉じて眠りについた。カレンダーの今日の日付には総悟がつけたのか、赤い丸印が付いていた。自分が誕生日なのに、地獄からこっちに俺を戻してくれるなんて、何て女だ。

さて、彼女の墓に行って何の花を供えようか。そんなことを考えながら土方の意識は遠のいていった。






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2014/05/26/ミツバさん、誕生日おめでとう。





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