あの娘 1

昨日あの娘に何があったか知らない





それはちょうど厚手のコートが必要なくなり衣替えの準備をし始めた頃、春めいた気候の訪れを風の暖かさと空の青さで感じるようになっていた三月のことだった。
幼馴染が結婚することになった。
幼馴染といっても年は8こほど離れているし性別も違う。出会った時自分は5歳で確か相手はもう12か13だったかとにかく幼いなど言える年ではなかったが、それから今まで付き合いがあり、少なくともだから自分にとって彼は幼ない頃からの馴染だ。
出会いは今でも覚えている。親代わりの叔父に連れてこられた剣道道場に足を踏み入れた途端、練習途中で勢い余ってよろけた彼の体がどさっと自分に覆いかぶさってきた。まだ小学生だった彼だがその頃の自分にしてみれば、ああここは野生のゴリラがいる危険な場所なんだと思うくらいにはその彼の体格のよさを肌で感じた。自分は顔を防具に強く打ち付けて鼻血が出ていたのですぐに彼から大層謝られた。菓子折りをもって自分の家まで押しかけてくるくらいだった。彼の家は、自分(そして叔父)の家の隣だった。大きな家だった。「あの道場は俺の家だよ、お前もやる?」とお詫びの饅頭片手に自分の家に来た彼は、隣家だと分かった途端ニカッと笑い剣道の道に誘ってきた。そのとき自分はまだ五歳で剣道なんて知らないしこのゴリラがどんな人間かもわからなかったがなぜだかその笑顔にとても安心して、押し潰された怖さと鼻からのじくじくした痛みを忘れ、うん、と頷いた。それから面倒見のよかった彼と彼の家族は、以来13年なんだかんだで自分に付き合ってくれたのである。
その幼馴染が今、真っ白な、正直決して似合うとは言いきれないタキシードを着ていて、その隣にはこれまた真っ白なウエディングドレスを、でもこちらはあでやかに着こなしている別嬪の花嫁が座り2人してニコニコと笑っている。彼の周りは酒をつぎに行く人々で賑わっていた。
「土方さん、来年の担任ってこの中にいるってことですかい?」突然隣の席から話しかけられビクッと横を見ると「なんでいボーっとして。あ、まさかお酒飲んでる?」とこれまたもう1人の幼馴染がマヌケな声をだした。こちらは自分の2個年下で、同じく道場に通い家族ぐるみで付き合っているやつだ。生意気だが叔父曰く"ジャニーズに入ってもおかしくない"くらい顔はいい。「知らねえ。さすがに全員は来てないだろ。顔だけでも売っとけば、お前顔面偏差値高いし」と答えると彼は真に受けたのか、新郎同僚を席次表で隈なくチェックしだした。やれやれ…と、披露宴も落ち着き食事の時間を楽しんでいる招待客をよそに、そういえば席次表もろくに読んでなかったなどと思いながらとりあえずトイレついでに披露宴会場の外に出た。え、土方さんどこ行くんで、と後ろから声がしたが、トイレ、と振り返らずに言った。
あの席には長い間いたくなかった。あと、一服したかった。
しかしあいにく喫煙所に近づくと新郎の同僚であり、自分の高校の教師達が煙草をふかし談笑していた。さすがにそこじゃ吸えないなと踵を返す。幼馴染である新郎はいつの間にか教師になっており自分の通う高校で体育を教えていた。だから彼とは今学校で先生と生徒という関係で、今日の招待客の中にも彼の同僚、つまり自分の高校の教師がそれなりにいて、自分は新郎友人として招待されてはいるもののまるで式場があの息の詰まる学校かのような気分になり少し吐き気がした。
とりあえず一服したい、誰かいない場所はないか。式場内をウロウロしていると、会場の裏に小さい庭園を見つけた。同じく、あのざわざわした会場内にいられなくなったのだろうか、真っ赤なベビードレスを着せられた赤ちゃんが若いお母さんに抱っこされながら庭の花を眺めていた。無邪気な様子に自然と頬が緩む。赤ちゃんがいるからたばこは吸えないな、とは思ったが、喧騒から離れた一瞬の静かな空間になんともいえない気分になり、深呼吸してその場に座る。若いお母さんと目が合い会釈しあう。しばらくぼーっとしていると、その親子はまたぺこりと一礼して会場内に戻っていった。花がきれいだ。誰も彼もが今日の新郎新婦を祝っている。そう思うと自分の気持ちに向き合いたくなくなる。上をみるとこれまた雲一つない青空が広がっていて本当に今日は結婚式日和だな、と目を細める。一服しよう、気を紛らわそうと思い、席を立つときに手にしたたばこを取ると、そこでライターを忘れてきたことに気づき舌打ちした。ああ、せっかくのタイミングだったのに。
もういい、また戻って来ようかと会場へ向かうため振り返ると、見たことのあるものが庭園のガラス越しに目に入った。
フワフワの天然パーマに真っ白な髪、顔にはメガネ。いつもは白衣だから、今日のようにスーツをピシッと着られると一瞬分からないが、あの衝撃的な頭は他にいない。国語教師の坂田だ。他の生徒は彼のことをぎんぱち、と呼んでいた気がする。「あいつ来てんのかよ…近藤さん仲よかったんだ」ボソッとつぶやき、すぐに天パからは目を背け会場の席へ向かい直す。一瞬、天パもこちらに気づいたかに見えたがそんなの知ったことではない。あいつ以外もちらほらと、それこそ席次表を見て"新郎友人・土方様"の名前に気づいている教師がいるだろう。学校は好きではない。近藤さんには会いたいが、高校にはあまり行っていない。だから今日は更に憂鬱な気分だった。あ、今生徒指導の長谷川と目があった。どうせあとで自分のことを他の教師と話すんだろう。
はあ、と深いため息をつくと、料理にかぶりつく総悟がムっとした表情でこちらをみる。なんでもねーよ、と彼にひとりつぶやき、早く終わってくれ、とだけ願いながら1人披露宴が進むのを待った。

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「うわ。あれって学校さぼりまくってる…土方とかいう子じゃなかったっけ。教え子よんでんじゃねーよ」
今日は休日だというのに職場の同僚の顔を見なくてはいけず半ばうんざりしていたところに、仕事相手である生徒の顔まで見つけてしまい、もうここは本当に式場じゃなくてただの学校じゃねえかと思って深くため息をついた。同期のゴリラ、別名近藤勲の結婚式はさすが付き合いのいいゴリラだけあって盛大なものとなっていた。喧騒から離れたくて同僚の会話を抜け式場内をぶらぶらしていると可愛らしい小さな庭を見つけた。同じく、可愛らしい小さな赤ちゃん(きっと近藤のためにきてくれたんだな、恵まれてるなあのゴリラ)が、お母さんに抱っこされながら花を見ていた。庭には出ずガラス越しに見ていると、もう1人、黒いドレスを着た女性が庭に出てきた。同じく真っ黒の髪をアップにしてめかしこんでいるが、あの顔はまだ学生かもしれない。しばらく、なにかおかしい、と彼女の顔を見ていた。
というか、俺は彼女を知っていた。あいつはうちの生徒だ。教え子だ。そう気づいたとき、思わずため息と冒頭のセリフを呟いていた。確かに記憶をたどれば、職員室で近藤と土方が話してるところを見たことがあるかもしれないし、近藤が、隣の家の幼馴染が生徒にいるんだよな、なんて話をしていたかもしれないし、不登校気味の生徒としてたびたび職員室で土方の話題がでると近藤が苦笑いしていたかもしれない。しかし結婚式に呼ぶほどの仲だったとは。あ、目があった。土方は目をそらし会場へ戻って行った。「あーあ、俺も戻るか。」いつのまにか庭から親子がいなくなっていたのに気づく。同僚のもとへ戻り、また適当に話を聞きながら考える。最近の女子高生は妙に大人びてるから面倒くさい。ぎんぱち、ぎんぱち、と休み時間にくる女子生徒はみんな誰に見せるんだか知らないが一生懸命化粧をしているし、バカなんじゃねえかと思うくらいスカートは短いし、太過ぎたり細過ぎたりする足をそのスカートの中から自慢げに出している。あの土方という生徒としゃべったことはないが。
あいつが他の生徒としゃべってるところもほとんどみたことはない。というか学校で数回しか見たことがない。その数回での彼女はいつも仏頂面で瞳孔が開き気味で、心底気だるそうな雰囲気を身に纏っていて、ぎんぱちぎんぱちとまとわりついてくる教え子たちとは一風変わって見えた。
さっき、赤ちゃんをみて彼女は微笑んでいた。笑った顔を初めて見た。あんな風に笑える子なんだなとふと思う。笑った顔は可愛い、というかゴリラの幼馴染にしては、まあそれは抜きにしても、普通に整った顔をしてる。仏頂面では損だ。そこまで考えて、ハッと、そんなことはどうでもいい、今日はご祝儀の分だけフレンチを食べてワインをいっぱい飲んで帰ると決めていた事を思い出し、食事に戻る。それにしても、休日まで仕事のことは考えたくねえなあ。はあ。同僚の話は終わっていた。もういっぱい、とタキシードを着たスタッフにグラスを渡す。向かいの生徒指導の長谷川が土方の話をしていたかもしれないが、もう興味はなかった。






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2013/11/01




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