あの娘 2

忘れられない 




近藤さんの結婚式から二週間ほどたった頃、道場の桜はちょうど満開になっていた。
今日から学校が始まる。新学期だ。学年も上がる。総悟が入学してくる。昨夜遅くまでしていたバイトの疲れが残っている。今日はクラス替えの発表と始業式があるだけだから一日家で寝よう。そう思っていたら、総悟に引きずりだされた。叔父の仏壇に線香をあげ、携帯と財布と煙草だけカバンにいれてしょうがなく家をでる。
今日から高校三年生になる。世間では受験生と呼ぶのだろう。自分には関係のない話だ。
「土方さん、今日はクラス発表だけじゃないらしいですよ。部活紹介のリハがあるって近藤さんに聞きやした」
総悟に言われたが部活に入ってない自分には関係ない。というか、総悟達新一年生の入学式は明日だったはずだ。今日まで彼は春休みなんだから寝てればいいものの、朝早く起きやがって。明日から始まる高校生活に期待が膨らんで、いてもたってもいられなくなったのだろうか。こいつのことだから、部活紹介のリハを盗み見して、先輩や先生の様子を入学前に確認しておきたいのかもしれない。もしくは早く起きてしまって暇だからなんとなく、というただの自分への嫌がらせか。彼からの頼みにはなぜか弱くて折れてしまう。これから一年もしかして、こいつのせいでこうやって学校に引っ張られる日が増えるかもしれないと思うと頭が痛かった。
学校に着き、校舎をぶらぶらして帰ると言う総悟とわかれる。何をするつもりなんだか、ろくでもないことを企んでいるに違いない。せいぜい迷惑はかけないでくれ、と思いながら掲示板の前にいき自分の名前を探す。あ、近藤さんの名前があった。当たり前だが近藤さんのクラスに自分の名前はない。
しばらく掲示板を目でなぞって行く。あった。土方。3年Z組。1番最後のクラス。担任は。
「あ。」
坂田銀八の名前がそこにはあった。

..

「はーい着席。この学年をもつのは初めてだよな。坂田です。よろしく。」
とりあえず無難な挨拶をして、銀八は新しい教室で最初のホームルームを始めた。教室を見回すと一つだけ席が空いている。あれ?と思いつつ出席確認をはじめる。
「出席取りまーす」
1人ずつ名前を呼ぶ。ハイ、だとか、よろしくお願いします、だとか、それぞれが少し緊張した面持ちで様子を伺いながら返事をしていく。ハ行までいき動きが止まる。返事が聞こえなかったからだ。
「あれ、土方。土方は?新学期そうそう休みか?」
窓際から二番目の一番後ろの席にいるはずの女子生徒の姿がない。空席は彼女だった。周りは慣れたものなのか、せんせー、次行っていいっすよー、とどこからともなく飛ぶヤジが銀八の耳に聞こえてくる。
風邪か?知ってるやついる?と問いかけるも生徒の反応はない。
うーん、じゃあ次、と名簿の下にある名前を呼ぼうとしたときだった。ガラガラと後ろのドアがあいた。ドアから入ってきた少女はちらりとだけ黒板を見てすぐに歩き出す。黒髪をなびかせて、どさっと席につく。ふてぶてしいその態度から、申し訳なさは微塵も感じられない。
「あら、土方おはよう。ちょうど出席とってたんだ。新学期そうそう遅刻か」
銀八がそれなりに愛想良く話しかけると、小さい声で「…はい」とだけ返事が帰ってくる。誰とも目を合わそうとしない。他の生徒は若干引きぎみにそんな彼女の様子をみていた。なぜだか教室にピリッとした空気が流れる。
「…はい、まあいいや、このクラスの担任になった坂田です、よろしく。じゃあ次呼ぶぞー、」
関わるな、というオーラを惜しげも無く出している彼女を一瞥し、しかしさほど気に留めず銀八は出席確認に戻る。いや、気にも留めずというのは嘘だったかもしれない。近藤の結婚式で見た土方の微笑みが銀八の脳裏に一瞬よぎり、そしてすぐに消えた。

..

ホームルームのあとの始業式も終わり、今日は面倒くさいから解散、という銀八の一言で教室の生徒たちはガヤガヤと雑談を始めた。変に自己紹介の時間など無くてよかった、と少しホッとする。遅刻のこと、去年まで不登校ぎみだったことを銀八から咎められることはなかった。そしてまた″クラスメイト″から遅刻の理由を聞かれることもなかった。新たなクラスでの友達作りを始めたのか、元から仲がいいのか、はたまたこの後あると総悟がいっていた部活紹介のリハーサルの打ち合わせか、グループで固まり喋り合う他の生徒をよそに、自分は無言でカバンを取り教室をでる。他のクラスはまだ帰りのホームルーム中だった。廊下に出てるのは自分一人だった。気にする同級生は誰もいない。
ひとり屋上に上がる。去年たまたまこの屋上の合鍵を拾い、以来ここは自分にとって学校で唯一の楽な場所だった。ここには他の生徒も、教師も、誰もこない。掃除もされていないのでそこかしこがうす汚れているが、それでも自分はこの場所が嫌いではなかった。
煙草を取り出し火を付ける。肺まで吸い込み、ふう、と煙を吐き出す。煙草を覚えたのも去年からだった。去年は、いろいろあった。
カチャカチャ、と突然背後から音がした。ビクリと土方は後ろを振り返る。ガチャリ、と屋上のドアがあく。急いで煙草の火をもみ消し、吸殻をポケットに詰め込む。ドアから出てきたのは、さっきわかれたばかりの担任だった。
「うお!」
向こうも一瞬驚いたようで、お互い目を合わせて数秒沈黙する。
「…すみません。」
ひとこと言って銀八の横をすり抜け屋上を出ようとしたとき、ちょっと待って、と声をかけられた。
「…なんすか。」

「お前、なんでここ入れたの?もしかして、合鍵拾った?」

鍵の作り主は銀八だった。もともと立ち入り禁止の屋上に、彼もまた学校で1人だけの憩いの場所を求めて、職員室にあった屋上の鍵から自ら合鍵を作って勝手に使っているらしい。
「お前が拾ったのかー。どこに無くしんだろうと思ってたわ。」
屋上の柵によりかかり、校庭を見ながら銀八は喋る。口にはキャンディと称した煙草。妙な匂いがするので銘柄が気になったが、わからななかった。
1人でいられないのなら家に帰ろう、とすぐに屋上を出ようとしたがなんだかんだ引きとめられてしまった。煙草も吸えないし、とりあえず「こっからの眺めって新鮮だよなァ」という銀八の呟きに合わせ自分も一緒に校庭を見下ろす。ポケットからほのかにする吸殻の匂いに気づかれてしまわないよう、距離を十分とって。
「…合鍵は作り直したんですか」
校庭にちょうど総悟がみえる。どうやら桃色の綺麗な髪をした女の子と一緒に歩いているようだった。早速友達を作ったのだろう。それにしてもやんちゃそうな女の子だが。あの2人蹴り合ってないか?総悟、負けそうになってんじゃねえよ。
「…うん?そうね。なくしたと思ってもう一回作っちゃった。だから、それあげる。」
話しかけられると思っていなかったのか、しばらく間が空いて銀八から返事がある。
「…別に、いいです」
「そう?ここ隠れ家みたいでテンションあがんない?でも、すっこし汚ねぇよなー。上履き汚れちまうか。」
銀八が、はいていたスリッパの裏をみながら言った。確かに汚れるけど、そういうことじゃない。
「いえ、ここでやる事も特にないんで…」
「あ、そう。じゃあもらっとくわ。」

鍵を差し出し、チャリ、と銀八の手に戻す。銀八は案外あっさりと受け取った。鍵をやると一応言ってくれたものの、自分以外の誰かがこの場所に入るのをよくは思ってないよな、やっぱり。わざわざ作った合鍵らしいし。じゃあいい人ぶってないで、最初から回収しろよ。とどこかで思う。
自分としても、半年入り浸った(と言えるほどもともと学校に来ていなかったが)この場所はなかなか居心地がよかったので、入れなくなるのは嫌だったが、他に人が来れうる場所なら元も子もない。
「…じゃあ。」
特に話すこともなくなったので、柵から離れ校内に戻る扉へ向かう。
「おう、また明日なー」
銀八もこちらを振り向かず、校庭を見たまま挨拶する。
扉を閉めて階段を降りていく。下の階から生徒達のはしゃぐ声が聞こえる。他のクラスもホームルームを終えたようだった。
銀八の吸っていた妙に甘くて古臭い煙草の香りが、少しだけ鼻の奥に残っていた。

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「お疲れさまです」
黒いシャツを着て、腰にはエプロンを巻く。規則はないが一応髪を一つに束ねる。着替え終わるとカウンターの中に入り、先に仕込みをしていた店長に挨拶をした。
三日ぶりのバイトだった。
「おう、おつかれ。」
バーの店長である高杉の下の名前は知らない。年も知らない。背はそんなに高くない。バイトの面接で出会った時から、片目は常に眼帯で覆われている。あと、たいがい変な煙草を吸っている。
ここは小さなバーだった。正直、こういう店をバーというのか居酒屋というのか、土方はよく知らなかった。カウンターが五席と、小さい机が三つほどある。バーテンダーがいるわけでは無く、ドラマでよく見るシャカシャカふるシェイカーでカクテルを出すわけでもない。むしろ日本酒や焼酎がそれなりに並んでいる。お酒を飲んだことがなかった土方は、 "バー/バイト募集" のチラシを見て、テレビでよく見るオシャレな店を想像していたので、実際に店内に入った時少し拍子抜けしたのを覚えている。ただ、店内は間接照明のみで薄暗く、壁には常に古い映画がぼんやり映し出されていて、雰囲気がいい。高杉は空間と空気を作り出すのがうまいと思う。あと、飯を作るのもそこそこうまい。まかないがただで食べられるのも、ここをバイトに選んだ理由だった。
ここで働き始めてからだいたい半年になる。高二の秋頃からだ。育ての親だった叔父が亡くなったのがきっかけだった。一人暮らしになり食事を家でとりたくなかったこと、お金はそれなりに残してくれていたが使いたくなかったこと、とにかく何かをして時間を潰したかったこと。今のバイトをしていれば、色々都合が良かった。
高杉はあまり自分に干渉して来ない。高杉自身のこともあまり話そうとしてこない。それも楽で良かった。夜遅くなることが多く、面接時に年齢を二個程サバ読みしたが、気づいているのかいないのか、特に何も言われていない。加えて高杉自身が喫煙者なこともあり、ここでは気兼ね無く煙草がすえた。他人と一緒に煙草を吸える場所はここだけだった。
「土方、今日多分客少ねえから、早めにあがっていいぞ」
黙々と机を拭き開店の準備をしていたら突然高杉に話しかけられてビクッとする。
「そしたら、締めは高杉サン一人になっちゃいますよ」
「うん、大丈夫。ちょっと残ってやりたいことあるし。」
高杉はそう言って巻きタバコを器用にクルクル丸め、火をつけ、ほう、と煙を吐き出す。その含みを帯びた口元をみていると、怪しいクスリでもやってんじゃねーか、と少し心配になる。
「そうすか、分かりました。」
「ああ。つうか、この辺最近不審者出るらしいぞ。女1人で遅くなるから、気ぃつけて帰れよ」
珍しく気を遣われた。確かに近藤さんが、この地域に不審者の目撃情報があったから生徒に呼びかけないと、と言っていた気がする。まあ、高杉は、そうは言っても実際に「家まで送ろうか」とは言ってこない。そういう距離感が、楽でいい。
「…はい、わかってます。こんなの襲う変わり者はいねえと思うけど」
「ハハッ。確かに土方は目つきが怖えからな」
「高杉さんもたいがいですよ」
くだらないことを言いあっていると、キイ、と店のドアが開く。「いらっしゃいませ」声を掛ける。今日1人目の客だ。

早上がりになっても、結局家に帰ってやることがない。本当は少し残っていたいんだけどな、と思っていたが、高杉にそんな事を言う気はさらさらなかった。








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2013/11/04





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