あの娘 3

かなしそうな瞳で




「え。」
始業式以来久しぶりに学校にきてみたら下駄箱に変なものが入っていた。見覚えのある鍵と、小さく折りたたまれたメモ用紙。なんだこれと思って紙を開くと中には雑な文字が並ぶ。
" やっぱり持ってて。自由に使ってくれて結構です。坂田 "
どういうことだろう。手紙と一緒にこの間返したはずの屋上の鍵が変わらずにそこにあった。どうしようか、一瞬固まったがとりあえず鍵と手紙をくしゃりとポケットにしまう。あの教師変なこと考えてんじゃないのか。気持ち悪い。まあでも、半年慣れ親しんだあの場所が戻ってきたのは単純に嬉しい。まあ、いいか。
教室に入る。朝のホームルームが始まる前だったのでクラスはザワザワと騒がしい。たいていのクラスメイトは、昨日のテレビの話をしていたりせこせこと化粧をしていたりあたふたと宿題のノートを写していたりと忙しそうで、唯一、隣の席の山崎が読んでいた本から顔をあげ「おはよう土方さん、今日は早いですね」と挨拶してきたものだから驚いた。なんで敬語。ああ、おはようと返すと、満足そうに読書に戻っていた。こいつは、多分変なやつ。

朝のチャイムがなる。一斉に席を立っていた生徒が自分の机に戻る。隣の山崎は読んでいた本を素早く机にしまった。前の扉があき銀八が教室に入ってくる。時間ぴったりによく来るななどと思いながら何とはなしにじっと銀八を目で追っていたら、彼もこちらに気づく。視線がぶつかり、銀八は自分が来ている事に驚いたのか少しだけ目を見開いて、そしてすぐにそらした。
銀八からは、始業式以来3日連続で休んでいた事だとか、でも今日は遅刻せずに来ている事だとか、先ほど下駄箱に入っていた鍵の事だとか、またしても特になにも言われなかった。ただ来週から早速進路についての二者面談が始まるとクラス全体に向けて予告された。面談日程表が配られる。自分の名前はだいぶ先に記載されていた。同時に白紙の ‘第一回進路希望調査表’ なるものもまわってきた。締め切りは来週あたま。もうそんな時期なのか。三年生ってこういう事なのか。自分の未来なんてこれっぽっちも見えなくて頭が重くなった。

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生徒の未来なんて頭が重くなるわ、責任なんてとれねえよ、なんでババアは俺を三年の担任にしたんだか。生徒諸君、せいぜい自分の事くらい自分で決めてくれ。
銀八は先ほど作り終えたばかりの面談予定表の束を手に教室に向かう。廊下には生徒たちの喋り声がガヤガヤザワザワ漏れている。まあまだ四月だから当たり前か。これが秋冬になっていくと朝のほんの少しの時間もガリガリと勉強に費やす生徒が大半になっていき、こんなざわつきは三年生の教室から消えていくのが常だということを銀八は知っていた。今日のホームルームはその現実を突きつける第一段階だ。
ドアを開けると、一斉に生徒たちがこちらを向き急いで自分の席に着席する。いつもの光景だ。ただひとつをのぞいて。窓際から二番目の一番後ろの席が始業式以来初めて埋まっている。土方が来ていた。目が合ったので余計に驚く。そういえばこいつの下駄箱に始業式の次の日すぐ屋上の鍵を返しておいたのだが、こいつは気づいただろうか。気持ち悪い教師なんていっちょまえに思われただろうか。まあいいか。
面談日程と進路調査の話をすると、予想通り生徒から甘ったれた文句が聞こえてくる。君達自身のことだからね。先生も君達を苦しめたくめやってるわけじゃあないんだよ。
どうしても、いつもと違うあの席が気になって土方の方をみる。土方は無言で進路調査票を睨んでいた。
彼女の家の事情はこのクラスの担任になる際に知らされた。その前から噂で耳には入っていたが。彼女は両親がいない。叔父に育てられたものの、その育ての親も去年亡くなったという。今は一人暮らし。生活費は、叔父が残してくれたものがそれなりにあるらしく1人で暮らせてはいるようだ。彼女は将来どうするつもりなのだろう。せめて卒業しなさい、そのために学校には来なさいというのを彼女との面談でまず1番目に話そう。まあ今日このタイミングで土方が来たのはちょうど良かった。
「以上。締め切りはとりあえず来週のあたまな。」
ホームルームを終え職員室に戻ると、近藤とすれ違う。新学期が始まって毎朝のように彼から「今日はトシ来たか?」と小声で聞かれていたので、今日は一応俺から「土方、今朝は遅刻しないで来てたよ」と伝える。「おお、それはよかった」とあからさまにホッとした顔をするので本当にこいつらは教師生徒の関係ではないんだなと思う。近藤はこの間結婚式をあげ、同僚だったお妙と同棲を始めたからそれまでは隣に住みそれなりに土方のことを気にかけていられたのが、簡単に様子を見れなくなったと心配していた。土方の家の事情だとか、つんけんしてるけど根はいいやつだとか、俺が土方の担任になると知った途端しょっちゅう近藤は彼女の話をふきこんできた。俺から何か言ったわけでもないのに先立ってそんなにフォローをいれてくるものだからどれほどの厄介なやつだろうと逆に構えていたのだが、蓋を開けてみれば彼女が学校に来ることがないので今のところほとんど接する機会がない。屋上の一件は、少し驚いたが。
近藤にあのことは言っていない。



進路調査票の提出日、いつまでたっても白紙のままの自分の紙切れを睨みながら屋上に座り込む。今銀八は自分のクラスで授業時間のはずなのでここには来れないはずだと確認し煙草に火をつける。自分も教室にいるべき時間だが、抜けて屋上に来るのは珍しいことではなかった。ふう、と煙を吐き出しペンで殴り書く。
就職希望、以上。
この高校は公立で成績は中の上くらいで近くには駅弁大学もあって、だいたいの生徒は進学するという。調査票の空欄は三つ、律儀に第一志望第二志望第三志望と欄が分けられており、きっと他の生徒はそれなりの学校名を書いていくのだろう。自分には関係ないけれど。
チャイムがなる。授業が終わったようだ。今日の授業はあと一つ。いつの間にかフィルターギリギリまで灰になっていたたばこをもみ消し携帯灰皿へしまう。
ガチャリ、と音がしたので振り返ると案の定銀八が入ってきた。タイミングにほっとする。
「お前、やっぱここにいたんだ。俺の授業はいいけど、他の先生のはサボんじゃねーぞ。俺のもサボっちゃダメだけど。」
銀八の冗談だか本気だかわからない挨拶めいた呼びかけは無視する。気になっていたことがある。「どうして、鍵返してくれたの」。
え?と、一瞬わけがわからないという顔をしたのち、ああ、と銀八は答える。「今日、しんろきぼうちょうさひょー出す日だぞ。持ってきたか?」
そんなの今関係ないだろと思うが、さっき書いたばかりの紙切れを差し出す。「お、よかった。就職ね。お前今年で卒業する気はあるんでしょ。」なんの話をしだすんだ。「なんかさーこの屋上は一人じゃ広すぎんだよな、たまに。煙草すいながらもふと誰かがいればなーって思う時があったりなかったりするでしょ。だからそれあげるわ。そもそも二本あっても使わねえし。まあ嫌ならいいけど。」
よくわからない上に突然話が戻った。
「…サボるのにしか使わなですよ、ここ。」それとなく言ってみる。
「いいよ。それでも学校来てるなら。でもどうせ来たんならその時は最低一つは授業でろよ。」
そう言ってすぐに銀八は、次の授業の準備があると校舎内に戻って行った。しばらくぽかんと阿呆のような顔をしていたかもしれない。なんだか色んなことを言われる想定をしていた自分に、何か変な期待をしていた自分に気づかないフリをした。サボリを容認された。ならいい、思う存分使ってやる。銀八が帰ったのをいいことに、もう一本煙草を取り出し、火をつけた。



「トシ、今週結構学校行ったんだってなあ!」
こんな季節なのに目の前にはグツグツの鍋と色とりどりのおかずが並ぶ。隣の近藤さんの家から一緒に夕飯食べないかと誘われたので来て見たら、家の主の近藤さんのお父さんお母さんに加え、週末だからと実家に帰って来た(とは言っても今住んでいる近藤さんのマンションと、この実家は自転車で5分あれば行き来できるほど近い)新婚ホヤホヤの近藤さんと志村妙、さらには隣の家の総悟がいて鍋の暑さだか人の熱気だかなんだか知らないがとにかく暑苦しい。「三年生は面談始まるだろ?大変だよなあ〜。三年生の先生たちみんな、特に坂田なんかしかめっ面で進路調査票みてたぞ。」鍋の肉をごっそり食べながら近藤さんはしゃべる。「ちょっと、食べながら喋らないんですよ」志村妙が注意する。彼女は去年まで自分の高校の教師だったが、職場結婚したこともあるのかそれともたまたまか今年度からは違う学校に異動した。彼女に会うのは結婚式以来だった。「総悟はどうだ、学校は慣れて来たか?てゆうかお前剣道部作ろうとしてるらしいじゃないか!俺が顧問やるよ」総悟は白滝をすすっている。「剣道部が無いなんて聞いてやせんでしたよ。もちろん近藤さん顧問でお願いするつもりです。クラスの女子にゴリラみてえな女がいてそいつも誘おうと思ってるんですけどね、あ、ていうか土方さんも一緒にやりましょうよ」総悟が話をふってくる。自分は剣道は中学にはいるときにやめている。道場にもたまに顔を出すが自分ではしない。「いいよ、面倒くせえし。今更だし。」熱々の白菜を食べながら答える。「土方さん、強かったんでしょう?よく近藤先生から話し聞いてたわよ。ねえ?」まだ慣れてないのか自分達がいる手前恥ずかしいのか旦那を近藤先生、なんて志村妙がよそよそしく呼んでいるので2人でいる時のように勲さんと言えばいいのにと思う。
自分の家、近藤さんの家、総悟の家はちょうど並んで立っており、隣同士なのでそれはそれは幼い頃からこうしてよくご飯を一緒に食べていた。それがいつしか近藤さんが働き出して志村先生と出会って、週末にみんなでご飯を食べる日が減って行った。たいていは近藤さんの声かけで総悟と自分が呼ばれるのが常だった。愛妻の手料理を食べるのは近藤さんにとってこのうえない幸せに違いないだろう。結婚が決まってからというもの色々と忙しそうだったがそれ以上に幸福に満ち溢れた顔をしていたのを知っている。だから、ご飯の機会が減ってもしょうがない。
いつの間にか鍋のしめにうどんが投入されていた。それほど食べたわけではないのにもうこれ以上お腹に入りそうになかった。しめはいらないや、とポツリと言うと、トシは相変わらず少食だなあと近藤さんが笑う。志村妙もそんな近藤さんを見て笑う。

その後も剣道部の話や、総悟のクラスメイトの話やらをひとしきりしゃべったあと、家に帰ることになった。近藤さんは新妻を連れてマンションへ戻って行く。「トシ!また学校でな!」志村妙も手をふってくれるのでお辞儀をして別れる。すぐに自分も家に帰り電気をつける。当たり前だが誰もいない。小さい頃はよく夕飯を食べたらそのままあの家で総悟と近藤さんと川の字になって寝ていた。朝になって叔父さんが迎えに来て、寝ぼけ眼で二人とわかれる。近藤さんが、じゃあなトシ、またこいよ、なんてアクビしながら見送ってくれる。そんなことも、もうなくなった。いつの間に自分が見送る側になったのだろう。いつのまに近藤さんのいる場所が隣家ではなくなったのだろう。当たり前のことにふと気づく。
なぜだか風の音がする。窓はどこもあいていない。もう春なのに。ひゅるりひゅるりと音がする。いっそのことと思い庭の雨戸を全部開ける。隣家の様子をうかがい煙草に火をつけるが何の味もしない。「たばこ1人ですってると、誰かいればなとおもったりおもわなかったりするよな」ふと、屋上で死んだ魚の目をした教師が言っていたことを思い出す。確かにそうなんだ。こういう日に煙草をすうと、鼻の奥がつんと冷えて行く感覚がある。なぜだかは考えたこともないが。すぐに火をもみ消す。空をみると夜なのに曇天とわかるくらいくもっている。網戸をしめる。それでもまだ相変わらずどこからか風がもれているような気がした。ひゅるりひゅるりと音がする。
ふと確かめたくなってカバンをあさる。確かにそこには当たり前のように屋上の鍵がある。手に取り強く握り締める。週明けは学校に行こう。あの屋上に行こう。なんとなくそう思った。あの高い屋上で吹く風はもっと気持ちいいものだった気がする。こんな渇いた音じゃない。
あの屋上の風と青い空と広い校庭がなぜだか恋しかった。












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2013/11/05



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