彼について 1

居心地のいい部屋






グニャリと折り曲がった磁気カードを水平に戻そうと逆側に反らせ力を入れるとパキッと音がしてそれはいとも簡単に真っ二つに割れた。定期券だったカードはただの名刺大の板になった。右手と左手にはさまれ分かれた破片を交互に見ながら、折れちゃったよ、と山崎はつぶやくと、部屋の隅に置いてあるプラスチックの大きなケージの蓋を開け、上からその欠片を差し入れた。ケージの中では、黒と鮮やかな黄色の斑点を持つトカゲのようなヤモリがうねりと動き、指の間に挟まっているカードの破片に訝しげに近づく。「餌に見えるのかな」 しばらくヤモリの目の前で板の破片をチラつかせると、ヤモリはキョロキョロと破片に合わせて顔を動かし舌を出し舐めようとした。「食べちゃダメだよミユキちゃん」。山崎は気まぐれに破片を引き抜き蓋をし直す。ミユキちゃんと呼ばれた黄色と黒のマダラ模様のヤモリは、意地悪なやつだとでも言うように山崎をじっと見たあと、振り返って水入れ用の小皿にはいった濁った水を舐めた。 山崎は二枚になったカードの残骸をゴミ箱向けて投げた。カタンと無事に入った事を見届けながら、先週のことを思い返す。



夜中に沖田と土方が山崎の家を訪ねてきた。2人とは高校時代からの付き合いだった。沖田は家にはいるなり部屋の隅々を見回して、何か手を出せそうなものがないか毎回探すものだから、山崎はこれはまずいとささやかに、並べられたフィギュアの前にさりげなく立って彼の視界をさえぎった。以前、新しく買ったフィギュアを見つけるなり沖田はなんの躊躇もなく腕をへし折ったのだった。それだけは避けたかったので沖田の視線を無難な雑誌やテレビへと誘導させる。土方はネクタイをほどきながら、「山崎、水ねえの?」とこたつにおもむろに入る。沖田の興味がレンタルした洋楽のCDに移ったことを確認して、「ありますよ、ちょっと待ってください」と返し台所に向かう。 沖田も土方もきちんと働いていて、週末になるとたまにこうやって家におしかけてきたり飲みに誘ってきたりする。もう一人、近藤というすごく賑やかな人間のようなゴリラがいるのだけど、最近好きな女性に夢中らしく、気を遣ったらしい2人はあまり彼を誘わなくなった。その分ちょっかいを出す相手は山崎一人に絞られて面倒臭く絡まれることが増えた。山崎が定職につかずふらふらとしていることもあるのだろう。「お前いい加減仕事つけば?」と土方は会う度に言ってくるが、山崎は「1人で暮らせるくらい金は稼いでるんでおかまいなく」と適当に流すのが常だった。 コップに水をいれ持って行くと、早くも土方はスーツのままこたつに半身をうずめ寝ていた。「水おいときますよ、こぼさんでくださいね」と声をかけると、目をつむったまま「うるせー」と理不尽な返事が帰ってきたので山崎はため息をつく。ふともう一人を見ると、沖田は「ほれ、食いねえ」と勝手にヤモリのケージの蓋を開け、最近ガチャガチャで手に入れたカエルのフィギュアを食べさせようとしていた。慌てて止めに入ると「カエルの一体や二体消化出来るだろーが」と酔っているんだか素なんだかわからないことを言い出したので、それは勘弁してください、死んじゃいます、と言い沖田にも水を渡した。「てめーまた変なフィギュア増えてんじゃねーか。金の無駄だろ」と会話を聞いていたのか土方まで寝たまま口を出してくるので「最近のガチャガチャは安くて精巧なものがたくさんあるんですよ」とわざと斜め上の返答をしてフィギュアを棚にきれいにならべ直した。 「明日朝早いんで一緒に出て行ってもらいますけどいいですか」と山崎は二人に問う。予想通り文句をいわれるが、なんだかんだ言っても二人は明日の朝早くによれよれのスーツのままそれぞれの家に帰っていくのは分かっていた。明日の朝からのバイトに備え、土方の真横に置いてあったバックを取り荷物を確認する。いつもの場所に定期がない事に気づき同時に嫌な予感がする。「土方さん、ちょっと起きてもらえませんか」声をかけるが土方は目をつぶったまま動かない。「ちょっとあんた、定期知りませんか」もう一度声をかけると「知らねえよ」と言うので、仕方がないと力づくで土方の身体を転がす。案の定彼の体と床に定期ははさまれていて、あろうことかわずかにカードはぐにゃりと曲がっていた。酔っぱらった二人から、ときどきこういったわけのわからない被害を受けるはいつものことだったが、さすがに事の成り行きと意味の分からなさに辟易する。「ちょっとこれどうしてくれるんですか」と問うもとうとう返事は返ってこず、土方からはかすかに寝息が聞こえてきた。沖田は「シャワー借りるぜい」と勝手に浴室に入る。山崎ももう知らないとばかりに「先に寝てます」と電気を消した。パチンという音とともに部屋は真っ暗になって、浴室から沖田の鼻歌とシャワーの水音が部屋に響いていた。山崎は布団に入ると、こたつにむかって「土方さん」と言ってみる。返事の代わりに、規則正しい寝息が聞こえる。それに満足して、山崎も目を閉じた。

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今日は金曜日だ。今夜も二人は来るだろうか、そろそろ近藤さんにも会いたくなってきた、そろそろ目当ての女の子に振られて泣きつく頃あいだと山崎は思った。来るかもわからない誰かを何となく思いながら、山崎は「いってきますミユキちゃん」とヤモリに声をかけてバイトへ出かけた。ヤモリは山崎には目もくれずにねぐらへと入っていった。


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2014/02/01

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