彼について 2

八重歯の女の子





山崎にとって、小学4年生の時に一緒のクラスになったミユキちゃんは、同い年で初めてきちんと間違えずに名前を呼んでくれた女の子だった。ミユキちゃんはコロコロとよく表情を変える子だった。楽しい時は目尻をクシャリとさせて惜しげも無く大きな口を開けて笑うものだから、口の端からちょこんと生えた八重歯が顔を出しよく目立った。怒る時は眉間にシワを寄せてたとえクラスで一番体格のいい男子相手にも立ち向かっていた。ミユキちゃんはよく笑い、よく怒り、よく泣く子だった。

ミユキちゃんの体操服が盗まれた時があった。彼女はそれに気づくと号泣して女子の友達にヒステリックに縋り付いていた。そのまま保健室で一時間寝込んだ。クラスでは担任が深刻な顔をして、緊急の学級会議が行われた。犯人は見つからなかった。ミユキちゃんは早退したが、次の日には新しく買ってもらった体操服を片手にケロリとした顔で教室に入ってきて、何事もなかったかのような顔で女子の輪に戻って行った。 体操服を盗んだのは山崎だった。学生時代に犯しがちな好きな子に抱くフェティシズムもとい変態的妄想の実行としては、体操服への執着というのは今になって振り返ると定番と言えば定番なのかもしれないし、それは山崎にとっても例外ではなかった。彼女の体を包み、汗や汚れを吸収しているであろうその体操服に山崎はただならぬ興味を抱いた。体育の授業があった日の放課後に彼女がたまたま体操服を持ち帰り忘れていたことを山崎が発見してしまったのがきっかけだった。山崎はそれをこっそりと持ち帰って、その日のうちに家庭科で使っていた裁縫セットを取り出し、ミユキちゃんの体操服を裁断して無地のポーチを作った。白い布でできた不恰好なポーチだったが、山崎はそれにティッシュを入れてティッシュケースとして小学校卒業まで毎日大事に使った。

ミユキちゃんは中学生になって派手なグループに入った。それでもたまに下駄箱の前であった時は、おはよう山崎くんと挨拶してくれた。彼女の口元には銀色の矯正器具がじとりと張り付くようになった。山崎がひそかに好いて彼女のチャームポイントとも感じていた口元の八重歯は、二年生になる頃にはなくなってしまった。それを残念に思ったし、それ以上に髪型だの服装だの化粧だので外見は変わってしまったことは認めざるを得なかったが、それでも彼女の中身はそのままだと、山崎は一人で思い続けていた。しばらくすると変な噂が流れ出した。ミユキちゃんのグループはみんな彼氏がいて、「経験者済み」らしい。それを決して信じていなかったけれど、ある日の放課後サッカー部の男子と手を繋いで帰るミユキちゃんを見てしまった山崎はその日のうちにティッシュケースを机のひきだしの一番奥に押し込んだ。ひきだしの一番奥は、それ以来開けることはなかった。


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それから十年程経つ。たまたま山崎が一人暮らしをしているアパートからバイト先へむかうため最寄り駅の改札を抜けると、どこかでみたことのある女性とすれ違った。「ミユキちゃん?」思わず山崎が声を掛けると、ミユキちゃんと呼ばれた彼女も振り返り目をまるくした。「山崎くん?」久方ぶりの再会だった。「久しぶり、覚えてる?」と山崎が言うと「覚えてるよ、忘れるわけないじゃん」と変わらない笑顔で彼女は答えた。「びっくりした、この辺に住んでたの?」「ううん、今日はちょっと…通院で」そういって彼女はお腹をなでる。少しふくらんだ、そのお腹はまさしく。「もう7ヶ月なの」とはにかんだ口もとから、山崎の大好きだった八重歯が見えることはなかった。ミユキちゃんは妊娠していた。「そうなんだ、おめでとう」と山崎は笑う。少しだけお互いの話をして、そのまま目的地へとわかれた。山崎はバイトが終わって家に帰ると、一目散に整理箪笥の一番奥に手を伸ばした。しわくちゃになった白い布のティッシュケースがでてくる。シワを伸ばすように丁寧に丁寧に布をなでる。その後、彼の友人である土方が勝手に煙草を吸うために置いていったライターと、そのティッシュケースを持ちベランダにでた。カチリと音がなると同時にライターに火がつく。ライターの先をしばらく布にあてていると、じわりじわりと火が燃え移る。

ミユキちゃんの体操服からできたポーチは、よく燃えた。 燃えカスと、灰がベランダに散らばる。ふう、と息を吹きかけるとそれらは空に舞っていき消えた。山崎は何事もなかったかのようにベッドに横になる。そして目をつぶり、明日からも続く何も変わらない日常に向けて、すぐに寝た。夢をみたかもしれなかったが、覚えていなかった。

その一週間後、山崎はトカゲのようなヤモリを飼い出した。そのトカゲのようなヤモリは全身に黒と黄色のまだら模様があって、ぬるりとした光沢を帯びていた。名前をどうしようか迷った末に、油性ペンを持ち飼育ゲージの左下に「ミユキ」と書いた。「ミユキちゃん、これからよろしく」と言うと、そのトカゲのようなヤモリは一瞬だけ山崎の方をむいたので、なんだかおかしくなった。山崎は満足そうに笑い、いつものようにバイトに出かけた。 八重歯をちょこんと出し大きな口で笑う彼女に会うことはもう二度となかった。

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2014/02/03




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