彼について 3

ありったけの、あるいはとってつけたような





いつものようにペットのヤモリに餌をあげると、ニット帽とマフラー、手袋を身につけ万全の対策をして山崎は家をでた。寒さ対策ついでに風邪予防のできるマスクも耳にかける。アパートの駐輪場には、隣近所の住人のカラフルな自転車に並んで、その一番端には唯一質素なキックボードが立てかけられていた。時代錯誤のそれを盗む人はいないと思いつつも申し訳程度の盗難予防のためフェンスとキックボードをつないでいた鍵を外すと、山崎は片足を乗せて地面をける。徐々に日が長くなってきたとはいえ、前の晩には今年初めての雪が降り、まだかすかに地面は濡れ、ところどころに雪の名残がみられた。吐く息が白い。地面をけるたびにヒヤリと静かに澄んだ空気が頬をなで、山崎は思わず「さみい」ともらした。
今日は学生時代からの友人に飲みに誘われていたのだけど、めずらしく山崎の家の近くの店を指定されていた。10分ほどこぐと店が見えてきて、体も温まっていたのでキックボードを降りながらマフラーをとる。一応居酒屋の近くにたっていた標識の柱とキックボードとをつなぐ鍵をかけ、店内に入る。予約名を告げるとどうやら既に友人たちは席についているようだった。
「遅れてすみません」と個室ののれんをまくり山崎が声をかけると、近藤がジョッキ片手に満面の笑みで振り返り「よお久しぶりだな」と声をかけてくれる。「遅いんでおめーのツマミ先に食べたぜい」といつもの調子の沖田と、既に灰皿の中に五、六本の吸殻をためた土方も出迎える。とりあえず生で、と注文して山崎は席につく。「今日はどこのエロ本屋帰りだ」と土方が気だるげに煙をはきながら言うので「やだなあ、アダルトショップはもう辞めたって言ったじゃないですか」と山崎は返す。「ちくしょう、あけみちゃんと付き合えたらザキにオススメ貰おうと思ってたのに」と近藤が眉をよせる。やはり最近想いを寄せていた彼女に振られたらしい近藤は、それでも「いけると思ったんだけどなあ」とブツブツこぼし続ける。沖田が「あんな女やめといて正解ですぜ、鼻フックじゃないですか」と容赦なく浴びせるので「ちょっと鼻が上向きなだけです!」と叫び返し近藤は乱暴にジョッキを飲み干した。山崎のビールがくると、「乾杯」、と改めて四人でジョッキを当てる。土方は次の煙草に火をつける。山崎は机のしたでひそかに左手の爪を剥きながら、久しぶりの四人の時間を楽しんだ。

二時間程飲んで、山崎は「ちょっと」と、トイレに席を外した。戻ってくるとなぜか机の上に小ぶりのホールケーキがあった。「え、もしかして」と山崎が言うや否や、「ハッピーバースデエエエエエ」と、沖田がものすごい速さで山崎の顔面に何かをぶち当てた。「いってえ!」と思わず山崎は叫ぶ。一体突然どうしたことか、と思うとともに顔にこべりついた何かを指でとる。なめると甘ったるいあんこの味がした。「特製ですぜ」とほこらしげな沖田から、顔面アンパンをくらわせられたことにようやく気づく。「や、普通パイでしょ。クリームでしょ。あんぱんて皮が厚いんですよ。痛いんですよ」と冷静に返す山崎を見て、すでに出来上がっているのか、近藤が「俺はやめろって言ったんだよ?!」とそんなこと思ってもないような顔でにやけながら言い、土方までもタバコを片手にくしゃりと口元をゆがませ「くふふ」と笑いをこぼしていた。「よし、目的も終わったし帰るか」と沖田は気が済んだようでそそくさと帰ろうとするので「いやいやいや、ケーキせっかく用意してくれたのに」と山崎がとめると「…タイミング見計らってたのに全然スキを見せねえザキが悪いん、ですぜっ」と机にあったケーキを皿ごとひっくり返し、なぜか山崎の隣に座っていた土方の顔面にくらわせた。相当酔っているのか、通常運転か、沖田は席を立ち脱兎のようにそのまま無言で外に走り出した。「てめええええ」と先ほどまで笑っていた土方もサッと顔色を変えて、山崎の膝を乗り越え沖田の後を追う。近藤は一人で爆笑しているし、もう無茶苦茶だ、と山崎は思った。歌ってくれて、その中でろうそくを消すだとか、きちんとしたプレゼントをくれるだとか、まともに祝ってはくれないのか、とあきれてずずずとソファに沈みこむ。ベロで口の周りをなめる。「…甘え」と言うと、「ってことでおめでとうな!今日は俺たちの奢りだから!」と近藤は笑いながらとってつけたように言った。そんな問題ではない、いや嬉しいのだけれど、何か違う、いや合っているのだけど、と考えた末「…ありがとうございます」と山崎は絞り出した。

店のトイレで顔を洗っていると、10分程で息を切らして「あいつ早え、ぶっ殺す」と土方が戻ってきて、それからまた10分後に「焼酎頼んだの忘れてやした」と汗一つかかず沖田も戻って来て、それからまた四人一時間程飲んで食べて、そのまま山崎の家になだれ込むことになった。

山崎の部屋につき靴を脱いで上がるなり、沖田は勝手に冷蔵庫をあさり、買っておいたビールをなんの遠慮もなくプシュッと開ける。決して狭い方では無い部屋だが、男四人が入るとなるとそれなりに窮屈で、コタツを占領された山崎は一人ベッドの上に座り込む。土方は「ベタベタがとれねえ」とシャワーにむかった。コタツでは近藤と沖田がまだ飲むのかと言うくらいビールをあけだし、途中のコンビニで買ってきたつまみを机の上に広げているが、その雰囲気はどことなく気だるげだ。しばらくすると浴室から土方が出てきたので、山崎も入れ替わって顔中にこべりついた甘いにおいを流しにシャワーを浴びた。鼻の奥と髪の毛の間にいつまでもあんこがまとわりついているような気がして、何度も何度も頭と顔を洗った。
いつの間にか無心で顔をこすり続けている自分に気づいて、山崎は湯を止める。バスタオルで体をふき、ジャージに着替えてリビングに戻ると、いつの間にか近藤と沖田はこたつに入ったまま横になり目をつぶっていた。机の上には飲みかけのビールの缶と結局ほとんどつままれなかったであろう、コンビニで買ってきたさきいかがばらばらと散らばっていて、その匂いに興奮したのか、飼っているヤモリがケージの中でガタガタと活発に動いていた。ため息をついてベランダに出ると、案の定土方が灰皿代わりの空き缶を片手に、柵に寄りかかりながら一服している。隣に立ち、後ろ手で窓を閉めながら「二人疲れて寝ちゃいましたよ」と山崎が言うと、「今日の言い出しっぺ、総悟だから。あんぱんもちゃんとどっかで買って用意してたらしい」と煙をはきながら土方が答える。ここで改めてそんな事を言うこの人は本当にずるくて甘い、と山崎は思う。そういうフォローを、沖田から一番ひどい目にあってる自分が言い出すのだから手に負えない。「ですよね。土方さんなんて俺の誕生日なんて覚えてないと思ったし」と言うと「分かってんじゃねえか」と土方は苦い顔になる。「まあ誕生日おめでとう。もう30近いんだし、今年こそまともに働け。」といつものようなことを続けて言うので「ありがとうございます。まあ、ボチボチがんばります」と山崎は答える。土方は少しだけ笑って、フィルターぎりぎりまで火がすすんだ煙草を空き缶の中に押し込んだ。じゅう、と火の消える音がする。「それにしても、寒いですね」と、肩をすくめ両腕をさすりながら山崎が言う。土方は新たな煙草に火をつけ「ほんとさみいな、こうしてると煙なんだか息なんだかわかんねえ」と、言葉通り煙だか息だかわからない白いもやを、ふうと吐き出す。「土方さん、なんかプレゼント下さいよ。せっかくだから」と山崎は言ってみる。唐突だったものだから、「なに、欲しいもんあんのか?」と土方は尋ねる。山崎は真顔で「その吸いかけの煙草下さい」と言う。「吸うのか?」と土方が聞くと「吸います」と山崎は答える。「んじゃ新しいのやるよ」と土方は新たに煙草を箱から出そうとするので「いや、土方さんが吸ってたそれがいいんです」と山崎は土方の口にくわえられた煙草を指差して言った。「……そういうところ、本当気持ち悪ぃんだよお前」と土方はまゆをひそめ、しかし「ほれ」と吸っていたそれを手渡した。「ふふ」と山崎は少し笑って、慣れてない手つきで煙草をくわえ、肺まで煙を吸い込んだ。ふう、と吐くと、煙と息がまじって、白いぼやがゆらりゆらりと空気にとけていった。「満足か」と土方が言うと「ええとても」と山崎が答える。土方はあきらめたように、新たな一本を箱から出すことはなく、山崎が吸い終わるのを隣でぼうっと見ていた。

「…うわっ」と、山崎は振り返って驚く。いつのまにか沖田が起き出し、窓ギリギリのところに立ってこっちを見てにやりと笑っている。嫌な予感がしたと同時に、ガチャリ、と目の前で、室内から窓のカギを閉められる。「はあ?ざけんなてめえ」と土方は大声で反応するが、山崎は「ちょ、土方さん夜中なんで静かにお願いします」となだめる。「どうせ寂しがってるだけですぐ開けますよ」と山崎はしばらく沖田の動向を見守ったが、ペットのヤモリに手を出し始めたところで焦り出した。「えええ、出しちゃダメですって!逃げちゃう!沖田さん!」と山崎が何度も窓をたたいていると、困った顔でこたつから近藤が起き出し、鍵を開けてくれる。「ちょっともう、まったく」と間一髪で山崎が沖田の止めに入り、ヤモリがケージへと戻される。「沖田さん本当にミユキちゃん好きですよね、いくらでも触っていいですから、触りたいときは言って下さい、あと今日はありがとうございました」と山崎が言うと「"ミユキチャン"とか本当気持ち悪いんだよザキてめー」と沖田がつんけんと答える。そんな沖田の事を、土方はまた“ほんとは感謝されて嬉しいのにそんなんでしか表せなくて不器用なやつだなあ”とでも思っているのだろうと思うと山崎は少し胸が重くなったが、「近藤さんも起きてたんですね」と話をそらす。近藤はこたつのなかで起きあがり、どこから見つけだしたのか、昔バイト先で山崎がもらってきたアダルトグッズの雑誌をぱらぱらと眺めていた。「これとかいいよなあ〜」なんて言っているものだから、山崎は相変わらずのゴリラに安堵し、しかしため息をついた。
ふと窓の外を見ると、いつの間にかはらりと雪が舞いだしていた。テレビをつけると「今週末は10年に一度の大雪の予定です。みなさん足元に気をつけてください。」なんて、今の自分にとってはどこか非現実的な警告が流れている。
土方は珍しくヤモリに興味を示し、沖田に便乗してさきいかをあげようとするので「それもやめてください」と山崎が制止する。4人と1匹が、この狭い自分の生活空間の中でひしめいている。しかし今日は自分の誕生日だ。山崎はめまぐるしいここ数時間の出来事を反芻しながら、なんとなく、なんとなくだが面白さと憎たらしさと切なさとがただようこの空間をとてもいとおしく感じた。さきいかをくれない事にいらだっているのか、ヤモリのミユキちゃんはあわただしくケージの中を動き回っているので、山崎は「ふふっ」と笑って「ごめんね、またあとで餌あげるから」と言った。








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2014/02/11
山崎、誕生日おめでと(20140206)




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