終わりの鐘がきこえない



それは確かにあったはずなのに



さんざん地味だ地味だと言われてきて、いつのまにか安直にも“ジミー”だなんてあだ名がつけられるほど、自分の目立たなさは十分に理解していた。つい最近コンビニに行った時なんかは、とうとう自動ドアさえも反応しなくなった。ドアの前に立つ。開かない。一旦後ろに下がって、またドアの前に立つ。開かない。ドアの前で思いきり手足を動かす。開かない。ため息をつく。そんなことをしていると後ろから他の客が入ってきた。スムーズに自動ドアが開く。ため息をつく。どれだけ地味なんだ、俺は。機械にまで気づかれないとは。

自動ドアだけじゃない、誰にも何にも認識してくれなくなったと気づいたのはそれからしばらくしてからだった。朝礼に出る。いつも部署や隊ごとに仕事が命じられるが、自分の名前が呼ばれない。点呼を取る。自分の番だけ抜かされる。副長の部屋に行く。「煙草を買ってこい」とも、「茶ァくんでこい」とも、言われない。

何にも言われない。誰にも気づかれない。

最後に他人と話をしたのはいつのことだったのだろう。
ふと自分の部屋にいく。そういえば片付けなくちゃならない報告書が残っていた。どうして今まで気づかなかったんだろう。このままでは、副長にまた怒鳴られる。
部屋の襖を開ける。
息が詰まった。
自分が今まで使っていた机の上には、溜まっていたはずの書類はきれいさっぱりなくなっており、無機質な、小さな白い壺と、自分の写真がかざられていた。
そして、その机に向かって副長が正座をしていた。彼はただ一人、自分の写真に煙草とあんぱんをそなえていた。
目をつぶる。先ほどまで聞こえていた、道場で竹刀をふる隊士達のかけ声や、ツバメの鳴き声や、風の音が、急に聞こえなくなった。信じられないほどの静寂につつまれる。
線香と煙草のけむりだけがただよう。


ああ、自分は死んだのだった。


……

山崎退という人物は本当に存在したのだろうか?葬式もした、火葬もした、骨も拾った、目の前には、遺影。
しかしまるで彼が存在していなかったかのように日々がまわる。彼がいなくなったことを誰も意識していないし、気づいてすらいないんじゃないかとさえ感じる。
思えばこの職場で彼と一番密にかかわっていたのは自分だった。彼は密偵であり自分からの勅命で秘密裡に仕事をするのが常だった。自分にだけ感じるこの違和感を、他の隊士たちは、周りの人々は、彼らは、なぜ平気で通り過ぎていけるのだろうか。それは彼らの日常に、山崎退という人物が当たり前に組み込まれていなかったからだろうか。
眠れなくて、夜中に彼の部屋にいく。住人のいなくなったその部屋には、遺品だけが粗雑に段ボールに入って積み上げられている。机の上には、もっといい写真があったんじゃないかと思える、阿呆みたいな彼の顔がうつった遺影がたてかけられていた。その脇には小さな白い骨壷がおかれている。目の前に正座し、あんぱんと未開封の煙草をそなえる。
彼はこの煙草を吸っていたわけではもちろん無い、自分が吸っていたものだ。しかし下手をしたら自分よりも彼の方が、自らの手でこの煙草を買った回数が多いかもしれない。自分が彼をつかい、よく買いにいかせたから。
なにも聞こえない、怖いほどにシンとしたその部屋をしばらく見回す。彼の生きた証が、彼の息遣いが、この部屋からは全くと言っていいほど消えていた。
自分の部屋に戻り、布団に入り、少し寝た。夢はみない。静かすぎるほどのその夜に、自分が求めるものは何もない。目をあけても閉じても、ただ暗い暗いぽっかり穴のあいた空虚だけが、そこにはあった。



朝起きる。いつものように隊士に挨拶し、変わらない一日が始まる。早速部屋にこもり、たまっていた書類を片付ける。
なんだかんだとバタバタしているうちに、昼になる。食堂でいつもの定食を頼み、マヨネーズをかけ、食べる。
食後に一服する。煙草がきれる。
彼の部屋にいく。昨日自分の手で供えたたばこを手に取る。封をあけて、一本取り出し、口に含む。火をつけ、煙を吐き出す。

こうして彼の部屋にある、未開封の煙草を手に取り一服すると、まるで今吸っているこれが、彼が自分のために用意してくれたものかのように感じる。もちろんこれは毎晩自分が彼の骨壷のわきに供えているものなのだが、それでもそんな馬鹿げた感覚になる。
そうしてこうやって彼の骨壷の前で煙草をふかしているとと、ふと後ろに彼がいるような気がしてならない。


「副長、今日はどうしましょうか」

ほら、また彼がいつものように話しかけてきた。
「この前頼んだ仕事の続きを。よろしく頼む。」
振り返らずに彼の問いかけに答える。

「わかりました、副長も煙草吸いすぎないでくださいね。お体に気をつけて。」

軽い返事が帰ってきたので、ふ、と口元がゆがむ。
後ろを振り返る。

しかしそこには誰もいないのだった。
寒々しいほどに何もない空間が広がっているだけだった。

.
山崎退という人物は、本当にいたのだろうか。
しかしまた夜になったら、彼の部屋に行き、自分は彼に煙草を供えるのだ。
それだけが彼が存在していたことの唯一のあかしのように思えてならない。馬鹿げていると思われようと。

彼の部屋をあとにし、いつもの仕事に戻る。それまでの静寂が嘘のように、隊士達の声が、ツバメの鳴く声が、風がするりと吹く音が、また耳に入ってきた。








20140707

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