ゆるやかにあいまいに、いつのまにか彼は



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『お久しぶりです、俺ですよ、俺おれ、』

知らない番号から着信がきたので何事かと思って携帯を取ると、向こうからそんな声が聞こえてきた。土方は笑った。警察におれおれ詐欺を仕掛けてくるなんてなんて馬鹿な奴なんだと、笑った。


「おう、どうした。てかおめえは誰だ」

『やだなあ、忘れたんですか、俺ですよ。山崎です。』

ますます土方は笑った。

「おう山崎か、久しぶりだな。何の用だ」
『何の用と言うか、なんとうなく、かけてみたんです。お元気かなって』

「おう、俺は元気だぞ。それよりお前、携帯の番号変わったのか?」
『はい、そうなんです。昔使ってたやつ、壊れてしまって』

「そうか、通りで知らない番号なわけだ?それよりお前、報告書の締め切りすぎてんぞ。」
『へへへ、すみませんね。そうそうその件で少しトラブルがありましてね』


土方は、ふ、と口角をあげ素早く監察の部屋へ急ぐ。携帯を耳に当てながら廊下を静かに歩き、逆探知機を用意し極めて冷静に携帯につなぐ。その間も平然と話を続ける。


「なんだ、なんかあったか」
『へい、それがですね。その報告書、出せなくなっちゃいまして。』
「そうか、なんでだ」
『すみませんね、本当、トチっちゃいまして。その事、謝らなきゃと思いまして』


逆探知はまだ相手の居場所をつかんでいない。


「謝る?何をだ。今から出せ。職場に戻ってこい。」
『本当にごめんなさい。』
「どうした、用件を言えよ。」
『副長、あの日の報告書、出せないんです。屯所にはもう、行けないんですよ。』


そこで土方はふと固まる。電話の向こうの相手は、土方の事を、副長と呼んだ。職場の事を、屯所と言った。
土方は煙草に火をつける。どうやら相手は、こちらのことを分かった上で電話をかけてきているらしい。詐欺にしてはなかなかまわりくどくて、それ以上にこの喋り方が、自分のよく知っている誰かを思い出させて、落ち着かなくなる。思わず、土方は聞く。


「お前、誰だ?」
『…だから、山崎です。監察の、山崎退です。』
「山崎…?」


山崎という名の隊士は真選組にはいない。だからこの時点で、詐欺は成り立たない。だから、土方は最初に、相手はなんと滑稽なやつだとあざけ笑ったのだったけれど、しかしもう土方の顔は、引きつるばかりであった。
土方は理解できない。電話の向こうから聞こえる言葉が頭の中に入ってこない。言葉が、ひとつひとつの、ばらばらの単語となって、無意味に脳内を駆け巡る。その間も、電話の相手はひとりでに話を続ける。


『おかしいな、真選組に俺と同姓同名いませんよね。』
『何て言えば伝わりますかね、あ、よくあんぱん持って張り込みしてました。』
『一度だけ副長にあんぱんスパーキングしちゃったことありましたね、あれも反省してます。』
『後は…そうですね、万事屋のだんなのとこのたまさんとお見合いさせてもらったこともあります。』
『副長その時すごく厳しくて、小姑みたいでしたよ。』


土方は無言で監察の部屋を後にする。逆探知の必要はないと思った。


『副長、聞こえてますか。』
『副長、俺が真選組に入ってから、いろいろありましたよね。』
『副長が俺に最初に命じた仕事は、煙草を買ってくる事でしたね。』
『俺は煙草にソフトとボックスがある事を知らなくて、とりあえずわからなかったからマヨボロシリーズ全部買って行ったんですよ。』
『そしたら、ばかじゃねえのかって副長は言って、自分の分を取ったらそれから、全部お前が吸え、って言って、残りを俺にくれたんですよね。』
『だから俺はその後、副長からもらったメンソールを吸ったんですよ。そしたら副長が怒ったんですよ。てめえは監察なんだから鼻が馬鹿になるようなもんは避けろって。』
『何て理不尽な奴なんだって、正直思いましたよ。』


電話の相手はくすりと笑っている。
持っている煙草のフィルターだけがジリジリと燃えておおかた灰になっており、土方はそこでようやく時間がたっている事を知る。この電話はかかってくるはずのないものだ。この電話はおかしい。ボタンを一つ押すだけなのに、しかしこの奇妙な電話が、どうしても土方は切れない。

山崎という名の隊士は真選組にはいない。正確に言うと、山崎退という名の隊士は1年前に真選組からいなくなった。
山崎の居場所は分からない。正確に言うと、この世に山崎の居場所はもうない。


『あ!そうそうそれで報告書の件なんですけどね、全部、俺の部屋の畳の下に隠しておいてあります。そういえば伝え忘れてたなって思って。だから今更ですけど、最後までは完成してませんが、とりあえずそれ、出し忘れてた途中までの報告書なんで見て下さい。』
『副長。』
『副長、聞いてます?ちゃんと給料もつけといてくださいね。』


何の冗談かと思ったが、何の冗談でもいい、と半ばやけくそになり、土方はようやく口を開いた。

「お、お前なあ。あれから1年もたってんだぞ。もう遅えっつうんだよ。お前の部屋なんてもうとっくに物置になってんだよ。」


ふふふ、と電話の向こうから笑い声が聞こえる。


『お久しぶりです副長、やっと副長の声が聞けましたね。』
「うるっせえんだよ、一人でべらべらしゃべりやがって。久しぶりにもほどがあんだろ。こっちの身にもなってみろよ。」
『ごめんなさいって。ほんと。沖田隊長とか局長とか、みんな元気ですか。』
「元気すぎて大変だよ。どこかの誰かがとちったせいで仕事が増えて、みんな寝る間も惜しんですこぶる馬鹿みてえに働きまくってやがらぁ。」
『それならよかったです。』
「よくねえよ。」


開けていたふすまから外の風が吹き込んでくる。思っていたよりいくぶん冷たい空気が肌にあたり、もう秋なのだ、と土方はさとる。


『副長、庭に植えていた柿は、もう実がなりましたか?』
「気が早えな。まだだよ。」
『じゃあ、裏の梨屋のおばあちゃんから梨の差し入れはありましたか。』
「ああ、それはあった。旨かった。」
『そうですか、それはうらやましいなあ。あそこのおばあちゃんちの梨、すっごい大きくておいしいですよね。俺ね、地味に大好きだったんですよ。』
「そうかい。今年のは去年のより倍でけえぞ。」
『ええ、ずるい、いいですねえ。梨。』


夏が終わるのはあっという間だ。日が落ちるのも早くなってきた。季節はひとりでに巡る。時間は否応なしに誰もかれもを置いて過ぎていく。

『そういえばひとつ聞きたい事があって』
「なんだ」
『副長、俺の名前、覚えてますか』
「はあ?山崎だろ?」
『俺の顔、覚えてますか』
「いきなり何言ってんだよ」
『俺の声、覚えてますか』
「…」
『副長、俺の事、覚えてます?』
「くだらねえ事言ってんじゃねえよ、」
「…覚えてなかったら……覚えてなかったらなんだって言うんだ。」
『覚えてなかったらそりゃあ少しかなしくて、最高に嬉しいです』
「ハッ…てめえは本当にどうしようもねえなあ。」
『やだなあ、副長、俺はこんな奴だって、分かってたでしょう』


一瞬の無言ののち、電話の向こうから再び声が聞こえる。土方はただ、目をつむった。


『副長』
『副長、話につきあってくれて、ありがとうございました。もうそろそろ時間です』
『久しぶりに声が聞けて、よかった』
『お元気で。』


土方は灰皿に火を押し付け、左手で煙草のケースをくしゃりと握りつぶした。

「山崎ぃ、煙草切れたわ。10秒で買ってこい」
『はいよ』


瞬間、電話が切れる。10秒以上かけ、ゆっくりと目を開ける。左手にはひしゃげた煙草のケースが、目の前には吸い殻の溜まった灰皿がある。奇妙でもなんでもない、いつもの光景だ。

立ちあがり、ふすまを全開にすると、縁側の先に柿の木の生えた庭がみえる。空がたかく、雲がゆっくりとながれている。晴れているのだが、やはり思っているよりも肌をなぞる風は涼やかだ。


携帯の着信履歴を見ると、意味を成さない数字の羅列が一件あったので、ためしにかけ直してみる。当たり前のように「おかけになった電話は現在使われておりません」と無機質なお決まりのメッセージが聞こえてきた。
それは、お盆もお彼岸も過ぎた中途半端な時期だった。
相変わらずマイペースでつかめないやつだと土方は笑った。

彼の言葉をおもいだす。彼は「俺の声を覚えていますか」と言った。俺の顔を、俺の事を、覚えていますか、と、言った。
土方は彼の事を何もかも覚えていたし、何一つ覚えていなかった。さっきまで聞いていた声なんて鮮明に脳内にこべりついていたのだが、しかし実のところもう少しも思い出せなかった。
彼はどこにでもいるようでどこにもいないような人間だったと土方は思う。彼の声は、顔は、体は、世界に穏やかにゆるやかに溶け込んでいた。彼と世界の境界線は限りなく曖昧でぼやけていた。
しかし土方は正直に言うと、そんな彼がたまらなく好きだった。
彼と彼以外の境目はひどくぼんやりとしていて、少し目を離すとすぐに彼を見失ってしまう。しかしそんな彼が好きだったということだけは、やけにはっきりと覚えていた。久しぶりにその気持ちを思い出してしまったものだから土方は、やっぱりあいつはどうしようもなくくえないやつだなと、少しだけ悔しそうに目を閉じて、笑った。













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2014/09/30


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