豪雨の中で





夕立という美しい日本語がゲリラ豪雨という外来種によって失われつつあるという嘆きを聞いたことがあるが、この暴力的なまでにたたきつけられる雨を目の前にすると、夕立なんて綺麗な言葉では確かにいいあらわせないものを感じる。これはゲリラ豪雨だ、たたきつける雨の暴力だ。
山崎は雨が好きだった。しとしとと降る雨はえもいわれぬ風情があると思っていた。しかし今日のような激しい大雨の日は辟易する。それまで雨が好きだなんて戯言を言っていた自分はなんと阿呆だったかと恥ずかしくなる。傘は強風で折れてしまった。自分の心もこの傘と同じだなどと少し酔いしれて、またそんな自分に酷く呆れる。格好悪いのはわかっている。しかし大雨の中でもやらねばいけないことはある。水もしたたるいい男という一節がうかび、また、ふ、と自嘲のようなため息が漏れる。
雨は降り続いている。髪や服から垂れる雫で乾いていた地面の色がかわる。雨宿りに人気のない民家の屋根に入ったものの目の前の雑音は消えない。
ざあざあといつまでも雨が降っている。ああああ、と意味もなく大声で叫んでみたくなる。きっと雨音が全てかき消してくれるだろう。しかしもう一人、この雨の中ずぶぬれになって駆け込んできた男をみて山崎はそうするのをやめた。
「副長も傘忘れたんですか」
「ばかいえ、折れたんだよ」
「こんな雨だと煙草が時化ちゃいますね」
「まったくだ」
山崎は前言撤回の撤回をする。やはり雨が好きだと思ったのだ。こんな彼との逢瀬もまた、雨がなしてくれたものだろう。屋根の下二人のくだらない会話が続く。それこそざあああといつまでも叩きつける、豪雨の中にきえていった。




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2014/10/19

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