終えていく






一.仕事
 公務員ではあるが定時にきるタイムカードなんてない。そもそもこの仕事に定時なんてものはない。人を見つける。報告書を書く。眠くなる。それが仕事の終わりだ。彼の場合は少し違う。人を斬る。報告書を書く。隊服を脱ぐ。それが彼の仕事の終わりだ。それは幸運にも世間の人々が仕事を終える時間と同じような午後五時かもしれないし、真夜中の零時かもしれないし、はたまた明け方の五時だったりもするかもしれない。仕事の終わりは時間で決まるのではない、成し遂げた結果でしか終わりは来ない。
おそらくあと七十二時間は、俺の中のタイムカードはきられることはないだろう。今日も俺は薄暗い部屋の中から一人、向かいに住む怪しい人物を双眼鏡で眺める。きっと黒である。この仕事が終わったらとりあえず副長に報告に行く。俺にこの仕事を与えた副長に、俺のしていることがいかに退屈で暗然たるもので、しかし有意義であるかを最低限体裁だけは整えた文書にして訴えるのである。そうしたらおそらく、それとなくちりばめられ埋められた恨み辛みなど気にもせず、「お勤めご苦労」と彼は言うのであろう。その言葉を聞いてやっと俺の仕事が終わる。
“最初の頃、格好つけて、眠くなったら仕事の終わりだ、などとぬかしたかもしれないが、訂正する。仕事の終わりは自分では決められない。彼まかせであった。”

二.情事
 白い液体が腹の上にぶちまけられているのは何度見てもみっともなく、そしてどうしようもなく雄臭いなと毎回思う。副長が仰向けになりひたすら荒く呼吸をしているのを、俺はコンドームを取り結びながら見下ろす。すでに彼の目に俺は映っていないようである。情事の真っただ中でさえもしかしたら、俺のことなど見ていないのかもしれない。ティッシュを二、三枚雑にとって副長の腹に広がった彼自身の精液をふきとろうとすると彼は、自分でやるといわんばかりに俺の手からティッシュを奪い取った。臍の中に少しだけ、拭われきれなかった精液が残っていたのでぺろりとなめると、髪を掴まれ、引き剥がされた。
「もういい、帰れ」
彼はもう何も俺に求めていないかのように、着流しを身に着け直し、煙草に手を伸ばす。
「一緒にシャワー浴びましょうよ、カピカピになっちゃいますよ」
俺がへらりと笑って言うと、副長は眉間にしわを寄せ「明日風呂入るからいい、もう疲れた」と露骨に嫌な顔をした。
長い張り込み捜査が終わり、副長の部屋に報告に行った夜だった。お互い忙しく、顔を合わせるのは大分久しぶりだった。報告書を渡し、要点だけを伝えると、きちんと聞いているんだかいないんだか、すぐに書類を机に投げ置いて「ご苦労」と彼は言ってきた。目が合った。まるで合図のようだった。こちらを見る副長の眼差しは艶めいた雄のそれであったので、応えるように自然と唇を合わせた。そのまま畳の上であることをお構いなくなし崩しに貪りあった。それはきっと傍から見たら大層滑稽な光景だろうと思う。しかし最中というのはお互い頭の中が真っ白になるようで、馬鹿みたいに息を荒げて腰を振るのだ。俺と彼の情事は限りなくただの性欲処理に近い。だから、行為の終わりに恋人同士のような余韻を楽しもうとするのははなから間違っているのかもしれない。それでも俺は自分と副長との間に、少なくとも他のやつらとは違う関係があって、そういう糸で結ばれているんだろうと思うことをやめない。副長は行為が終わるとすぐに一人で寝ようとするか、何事もなかったかのように仕事に戻ろうとする。俺は部屋に戻るのが面倒だと言っては、いつも勝手に布団の中で寝る。そうすると副長はいつも、知らぬ間に俺の布団にもぐりこんできて、抱きしめながらいつのまにか眠りについているのを知っているからだ。
 今日もまた、「お疲れ様です、おやすみなさい」と勝手に布団に入りこむ。枕元で、副長のため息がきこえた。
“いつくるか、と待っている時間がたまらない。いざ来ると、副長は思った以上に暖かい。”

三.二人
 十年日記というものをご存じだろうか。俺が寺子屋に通っていた頃、同い年の友達に大層綺麗な姉がいた。あまりにも美しいので友達にも内緒でこっそりとあとをつけたことがある。彼女は団子屋により、お茶をすすりながら鞄から少し薄汚れた白い冊子をだし、何か記し始めた。店の奥にある厠に行くふりをして、彼女の脇を通った時、目に飛び込んだもの、それが十年日記であった。同じページに同月同日の十年分を書きこめるその冊子の、彼女は三段目を記している途中だった。俺はそれ以来、毎日日記をつけている。たまに何も書かない日もあるが、何も書けなかった、という結果を残している。十年日記はもう二冊目の中段に入っている。一日に書ける欄はたったの四行である。今日は何を書こうかと、日記を開いた。思わず飛び込んできたのは、今日の上の欄に書かれている文だった。一年前の同月同日の日記である。
“恋人でないので俺と副長の関係に終わりは来ない。友達でもない。残念ながら今のところ家族でもないが、少なくとも名前の付けられない関係である俺と彼の間には、なので終わりは来ない。安心だ。”

四.彼
 日記を書くのはその日で最後にしようと思っていたわけではないのだが、いつの間にか書くのをやめていた。気づいたのは、俺が急いで詰め込んだ荷物一式を、ようやくゆっくりと整理できるようになってからだった。色々あって江戸を出て放浪していたが、ようやく住む場所を見つけた。ここには俺を知っている人は誰もいない。そもそも、俺は誰にも知られず、誰にも深くかかわることもなく生きていくつもりだったのだが、何がどう狂ったのかあんな仕事を始めてしまったので、こんなことになっている。しかしもう俺は自由だ。いろんなものから自由になった。せいせいした。ようやく静かに暮らせる。そう思いながら、荷物を整頓していたら、どこにあったのか忘れていたあの日記を見つけたのだった。大分書き込んである。しかしそれはとある日を境に真っ白のままになっていた。最後の一文はなんだったかと思い出せないまま、そのページを開いた。
“黒というのは、本来目立たない色であるはずなのに、明るい陽の下、人を悼む黒はなんと目立つのか。”


少しだけ笑ってしまった。一人で笑ってしまって恥ずかしかったが、もうここにはそれを咎めたり気持ち悪がったりする相手などいない。大分間が空いたが、今日だけまた再開しようか。迷わず一文、今ならかける気がする。
“最初の頃、格好つけて、名前のない関係に終わりなど来ない、などとぬかしたかもしれないが、訂正する。やはりこの関係の終わりも、彼まかせであった。”








2017/06/23
2015/05/05

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